2010年6月13日日曜日

エベレストBC

もう2週間前に、ヒマラヤより下山しました。
色んな意味で刺激的な山生活でした。
山はとっても壮大で見るもの感じるものに感激しました。
下界とは、桁違いに健康的でした。

最初、飛行機でカトマンドゥからルクラに。
標高2800mのルクラからトレッキング開始。
登りはゆっくり登らないとダメなので1日4時間。
途中、高度順応の為2ヶ所(ナムチェバザールとディンボチェ)で1日づつ休養。



ガイドを付けずに単独トレッキングだったので色んな不安があった。
道順、高山病、宿泊先、天候、、、、
頼りは日本で調べた資料だけ。
後は途中で出会った人に聞く。
そんな不安から、会う人みんなに挨拶する事にした。
笑顔で挨拶して好印象にしてると、困った時快く助けてくれるだろう。
そんな事を考えて実行。

歩いていると日本ではなかなかお目に掛かれない
写真でしか見た事がない様な大きな尖った雪山の山々が常に風景の中にあって、
素敵な風景でした。
その風景を見ながら登ってる僕の顔はニヤニヤしていた。
ニヤニヤしながら登ってる僕は多分気持ちが悪かっただろう。




初日、予定の距離より倍も登り過ぎて体力を使い果たし、
山小屋に着いた時には動けなくなってそのまま倒れる様に寝る。
起きても全然フラフラで空気の薄さにビビリました。

高所では全然寝付けず山の夜は長い。
さすがに夜は寒いのでヤクの糞を燃料にしたストーブに当たって過ごす。
何もする事がないのでご飯を食べてから1時間位でベッドに潜り込む。
でも寝着くまでに1、2時間掛かる。
だから寝袋に入ってから色んな事を考える。




午前中4時間登って、後は明日を待つ。
その繰返しの毎日。
とにかくトレッキングとご飯が唯一の楽しみ。
登る意外はひたすらご飯の時間と明日が来るのを待ってる。
退屈が苦手な僕にはかなりの苦行でした。
とにかく目的を達成して早く街に戻りたい。
そんな気持ちが大きかった。

飲食はかなり高い。
一番上で下界の5、6倍
水は20倍
でも、仕方ないかと思える程自分も歩いてるのでその値段に納得出来る。
だから、毎回値段と栄養を考えて注文する。
ちゃんと食べてたけど、けして自由ではない食生活だった。

初日以降は登るペースも掴め難なく登れた。
このコースはアップダウンが多いので、登り安かった。
道も人の足跡とヤクの糞を追って登るとちゃんと分かった。
たまにキツい登りがあってその時は大変だった。






登る事7日間、遂に目的地の一つエベレストBCに辿り着く。
エベレストBC(5360m)は氷河の世界で感動しました。
辺りは白とエメラルドグリーンの見事な氷の世界でした。
そこには、既にエベレストを登頂して戻って来た登山隊が居ました。




次の日、朝5時、夜が明けたか明けてないかのまだ薄暗い中、
最後の目的地カラパタールを目指しました。
カラパタール(5550m)はエベレストが綺麗に見える最初の場所。
2時間ずっと上りっ放し。
しかも結構なキツい登りの上、かなり空気が薄い。
2、3分登っては息が切れて立ち止まり、ハァーハァー。
そしてまた登り始めるが2、3分で息が切れる。
そんな苦しい繰返しだった。
そんな苦闘の後、カラパタールに登頂。
カラパタールからのエベレストの眺めは、最高にやりきった感がありました。
色んな想いを胸に秘めエベレストを眺めていた。
「俺は登りきったぞ~っ!」と心の中で叫んでたら、
後ろの雲が流れ向こう側にもう少し高い山を発見。
実はそれが本物のエベレストでした。
それから、もう一度その山を見て色んな想いを秘め直し
「俺は登りきったぞ~っ!」と心の中で叫び直した。


真ん中の奥の山がエベレスト


下りは、早く文明に辿り着きたい一心で通常2日かける所を1日で下り、
計2日間で出発地のルクラまで戻りました。
トレッキングにかけた日にちは計9日間。
予定は12日やったのに3日も早くやっつけました。

カトマンドゥに帰って来て、全てが刺激に感じました。
自由にご飯が食べれる事、
自由に水が飲めれる事、
自由にパソコンはいじれる事、
自由に音楽は聴ける事、
夜は街が起きてるし、
そして何より空気がいっぱいある!
何かいきなり日本に帰って来た様な居心地の良さ。
それだけ山の生活より街の生活は生活しやすいって事。
空気と文明最高!


最後に、
僕がこのエベレストBCに登ったのは、
最も尊敬している植村直己さんの影響でした。
「青春を山に賭けて」この一冊の本は僕に勇気と努力を教えてくれた本です。

ありがとう植村さん。